『佐藤明彦を語る』
本日のゲストは実弟でもありプロギタリスト(公益社団法人日本ギター連盟正会員)
でもある佐藤孝広氏です。
ーお父様がダンス教室を経営しお兄様がプロラテンチャンピオン、弟さんも
ダンサーでありご自身もプロのギタリストでいらっしゃいますが子供のときはどのような
ご兄弟でしたか?
佐藤(孝) 古河はサッカーが盛んなところだったので家の中で軍手丸めて
PKごっことかしてましたがお袋が言うには取っ組み合いのケンカなんか
したことないわりとおとなしい兄弟でしたね。
ーご自身はダンスはされなかったのですか?
佐藤(孝) 全然しなかったですね、昔は自宅の隣に教室があって普段は
興味ないんですが美味しい物があるとかゲームがあるとか、
パーティーの時だけ行ってましたね。
男兄弟で張り合う気持ちもあったのでしょうが、ダンスなんて
女の子がやるもんだ!と思ってました。
盆踊りの時も兄はよく踊ってましたね、このへんでは男の子はあんまり
踊らないのにやっぱり好きだったのですかね。
ー音楽の道に進むきっかけはあったのですか?
佐藤(孝) 今思い出しましたけど兄がビートルズやクィーンが好きだったので
その影響で小学校の時から知ってたんです。
それで中学生になってクラスの真面目グループがビートルズ
カッコいいってなって、なになにビートルズ知ってるよって
レコード貸したりしたんです、それから近所の年上のいとこのお兄ちゃんの
ところに行ったらギターがあってそれで教えてもらった、というのが
きっかけですかね。高校三年間はロック漬けでした。
大学に入ってから古河市の教室に習いに行って、
就職したんですがやっぱりギターをやりたいと思って脱サラしたんです。
そしたら翌年「お前カヴァティーナ弾けるか?」「弾けるよ」って言ったら
翌年の兄の10周年のパーティーに初めて呼ばれたんです。
そこで初めて兄の踊りを見たんですが、身内なので贔屓目もあるかも
しれませんが、華があると言うか、流れがいいというか
そんな感じをうけました。
弟の秀樹の縁で桜田先生のパーティーのも呼ばれるようになって、
ギター界の大先輩でもありスーパースターの
荘村清志さんという方がいらしてたんですが、
「お兄さんなの、雰囲気のある人だね」とも言われましたね。
ーお兄様から演奏のアドバイスなどありましたか?
佐藤(孝) パーティーに呼ばれるようになって正月に兄が帰ってきた時に
ギターを弾いていたんですね。
その当時難しい所を弾く時力が入って、口がもごもご動いていたんですが
「何やってんだ、その口がダメだ」って言われて
ギターの師匠にも言われた事があったので、まったくその通りだなっと、
それと演奏の事ではないんですが
「審査員が悪い点数をつけたのを恥かしい、と思わせるくらいの
踊りをしないといけないんだ」
と言ってましたね。普通ギターは点数をつけられることはないので厳しいな、
と印象に残ってますね。
現役時代、兄は海外に行ってたりお互い忙しかったのでゆっくり
話をする暇なんてなかったんですが、病気になってからかな?
私の妻はピアノを弾くんですが三人で練習の話になって、
「なんとなく漠然と練習してしまって当日よくなかった」と
言ったら「なんでそんなことをしてるんだ、意味がないだろ」と
言われましたね。
「そんな事言われても、人間だからそういう風に陥っちゃうんだ」と
いい返したら「分けがわからない」と、
具体的なことは言わなかったんですけどね、、、、
ちょっと次元がちがうなあとは思いましたね。
ーこれからの活動のご予定は?
来年の6月に品川きゅりあんホールと古河でコンサートを
予定しているんですが
クラッシックギターと言うと堅苦しくて譜面をそのまま弾かなくてはいけない
イメージがあるんですけど自分もロック出身だったのでその感じは
わかるんですが、音から次の音にいく特にどういくか、
少し高低差をつけるか、強弱をつけるか、
譜面に書かれていないことがいっぱいあるんです、そこをどう弾くかは
自分しだいで工夫の余地はいっぱいあるんです、
大いに研究したいと思っています。