「佐藤明彦を語る」
「佐藤明彦を語る」二回目ののゲストはNJDC東部審査員、元ラテンアメリカンA級の
奥田正人氏です
ー佐藤明彦氏との最初の出会いはいつごろだったのですか?
奥田 もう大昔ですけどまだ日競連だったころのD級競技会ですね。
そのころ楠組もいて佐藤組といっつも1,2位を独占していたんです、
彼らは上のクラスのC級でもファイナルに入ってましたから、
僕なんて入る余地がなくて、何でこんなすごい人たちと同世代なんだ!
と思ってました(笑)
それと聞いた話なんですけど、佐藤先生がB級に上がるくらいのと時に
当時アマチュアのトップ選手が佐藤先生に習いたいと来たそうなんですが、
佐藤先生は自分はまだまだ若輩者だからそんなトップの人は教えられません。と
すごく恐縮して断ったそうなんですね、それで謙虚な人なんだなっと、、、
その後僕たちもA級に昇級してロンドンに行ってたんですが、
ZONEというところでレッスンを受けていて、そこの所属コーチャーの
名前が書いてあるんですけどColinJamesとかLucaBaricchiとかの後にAkiSato
てあるんですね「えっ!?」と驚いて
でもレッスンしているのも見たことないし、、なんだろう?と思っていたら
佐藤先生と巳夏先生が入ってきて練習を始めたんですね。
ご存知の方もいるかもしれませんがイギリスは完全プライベートレッスンなので
プラクティスナイトか練習場じゃないと練習なんて出来ないんです。
後から佐藤先生に聞いたら「イギリスでは練習する場所がないから所属教師の
お金を払って練習させてもらっている」と、ZONEはそこで朝からびっちりレッスン
しようと仕事で海外に行ってようと年間契約で一月いくらって決められたお金を
払って所属するシステムだったみたいなんですね、相当な金額にもなったと
思いますしそんなことをする日本人がいるのかってビックリしたのを覚えています。
今はZONEもないですし、ロンドンに行く選手が少なくなりました。
有名なコーチャーが個別にキャンプはるなど海外留学の形も変わりましたね。
奥田 そしてこれは僕も引退してからの話なんですけど、学生の競技会にJDCから僕と
佐藤先生がジャッジとして行ったんですが、お昼になるとお弁当を
出してくれるんですがそれがエビフライやらハンバーグやら
ご飯も大盛りなんですね(笑)食べ盛りの学生にしてみたら精一杯の
おもてなしの気持ちなんでしょうが、引退した人間にしたら
ちょっとなぁ(笑)って感じなんです、それでふと横を見ると彼がこじんまりした
お弁当を持ってるんです。「何、それ?」と聞いたら自分はビールが好きだから
つい飲みすぎてしまうし体重も増えてしまう、でもダンサーとして体形は
維持したいから栄養士の先生にアドバイスしてもらっているって
言ってたんですね。現役時代なら気をつける人もいますけど引退してからも
と言うのは、なかなかいないですよね。自分で作ってたのかなぁ?
ストイックですよね、それだけダンスが踊ることが好きだったのだと思いますが、、
佐藤先生はWorldSuperSeriesアジアオープンの実行委員長を2012まで務めて
2013年もそうだったんですけど病気のためにどうしても出来なくなって楠先生に
後を託したわけなんですが、楠先生とも話したんですけど
「こんなところまで実行委員長やってたんだ、はじめて明彦の頑張りがわかった」
と、、頑張りすぎちゃいましたね。
ー新しくNJDCという団体を立ち上げられましたが、ダンスの世界にも大きな変革の
波がきているように思われますが
奥田 はい、日本ダンス議会がWDCアマチュア開催を選択しました。
私としてはDSCJ競技会を継続したいと考えNJDCを立ちあげました。
僕も選手の皆さんに喜んでもらえる大会を運営していきたいと思っています。